『HEE-STORY 1978』 #2〜初期衝動を咲かそう Let’s Play Loud

なんせ40年前の話だから月日の記憶が前後しちゃうな…

何度も話に出てる、「オレの初期衝動には欠かせないロックバンド」・KISS。
’77年と’78年に来日したんだけど、実はオレどちらの年の公演も観れていないの。
前述の通り、’77年の武道館公演はNHKのTV番組で観て衝撃を受けたけど、
翌’78年の2度目の来日は武道館公演を観逃してるのだ。
地元の友達は数人でつるんで観に行ってて、帰りにオレんちに寄って超興奮状態で
盛り上がってたはずだから、観ようとすれば観れたのにメッチャクチャ悔しかったなー。

その後KISSは、ノーメイク時代の1988年に10年振りに再来日。
その’88年の来日以降は全回欠かさず観ている。追っかけて福岡や大阪や名古屋でも観たな。
おかげ様で’95年の来日の際には雑誌の対談でジーン・シモンズ師匠にもお会いすることが出来て、
しかも<HEESEY THE BASSMAN OF THE YELLOW MONKEY>とちゃんと覚え認識してもらってる。
2001年にはオーストラリアまで観に行ったりもした。一昨年にはバンドの再集結も祝福してもらった。
ちょいちょいインタビューとかでもイエロー・モンキーの名前も語ってくれたりね。感無量だな。

’78年の武道館公演を観れなかったことは、ある意味トラウマになったのしれないけど、
その後の人生とKISSという存在が事あるごとに密接に関わったのは、我ながら何だか運命を感じる。

少林寺拳法ではなくロックバンドを選んだのも、今にして思えば1978年の運命の選択!?(笑)
40年前にオレがもし少林寺拳法を選んでたら、どうなっちゃってたんだろ…

オレをベーシストとして誘いに来た地元の同級生とのバンド結成は、結果的には実現しなかった。
彼らは高校受験を控えてたから、時期的にバンド結成は高校入学後の予定だったのかも。
でも中高一貫だったので高校受験はなく中3になっても呑気でいられたオレは、
「遂にキたか!?」ってカンジだった。自発的ではないにせよ、ヤツらがオレに炎を灯してくれた。
「オレがハマってるバンドでベーシストって言えば勿論ジーン(KISS)だし、
マッカートニー(THE BEATLES)だし、永ちゃん(CAROL)じゃん!!」って超盛り上がった。
共通項は3人共ベース&ヴォーカル。しかもコンポーザーでフロントマン。
「そんなにカッコイイパート、オレがやっちゃってイイのか?」って恐縮する反面、
「大変なパートを引き受けちゃったな」って気持ちもあった。
でも既にやる気マンマン。まさに「♪天真爛漫 やる気マンマン」だ(笑)
エレキの弾きマネする時は、中ぐらいのホウキから長いホウキに変えたぜ(笑)
「よっしゃ、ベース弾きながら歌っちゃおうじゃないのー!!」なんて、
ベース&ヴォーカルを目指し、気合い入りまくりでヴォルテージ上がりまくりだったな。

ただまだその頃はベースとギターの区別もつかなかった。ルックス的にもサウンド的にも。
「ネックが長くて弦が4本のヤツだよ!」とクラスメイトに教えてもらったけど、
音の聴き分けもままならない状況(笑)
でも地元の幼馴染が誘いに来たあの夜以来、俄然ベースという楽器に興味津々だった。
悪友とつるんで池袋や御茶ノ水の楽器屋さんに寄り道して、ディスプレイされてるギターや
ベースを舐めるように眺めて、カタログもらって家に帰ってまた眺めて。
どれがカッコイイか比べまくったり、先に既に弾き始めてるヤツらから情報収集したり、
アドバイスしてもらったりして。

迷った結果、遂にどのベースを買うか決めた。GRECOのリッケンバッカー#4001のコピーモデル。
黒いリッケン。RB700ってヤツ。もう完全にルックスで決めたのだ。
ボディシェイプがメッチャメチャ気に入っちゃって。
何度も何度も楽器屋さんに通って眺めてウットリしてたっけな。

これは、ホンモノのリッケンバッカー#4001。’72年製。今現在所有しているヤツ。
ネーミングがまたカッコイイのよ。本国では「BLACK」と呼ばずに「JET GLO」と呼ぶんだな。


コチラ、1993年。THE YELLOW MONKEY at日本青年館。『life Time・SCREEN〜追憶の銀幕』。
グレコの白いリッケンモデルを弾いている画像。この時オレ30歳。
15歳で最初に手に入れたベースと同じメーカーのモニターをさせていただいたなんて、
そりゃもう感動的だったよ。ちなみに青年館ではワインレッドの
ポール・マッカートニーモデルのリッケンも使ってるぞ。

当時のニッポンは、まだまだ「ロックは不良の音楽」みたいな風潮があったんだよな。
ウチの両親は「ロックを聴くな!エレキを弾くな!」とは全然言わなかったけど、
易々と楽器を買ってくれるようなカンジではなかった。
両親は音楽には興味がなく、家にレコードプレーヤーすらなかったし、
せいぜい演歌とか懐メロとかTVで観て口ずさむぐらいだったもんな。
なので、初めてのベースを入手すべく中3の夏休みにアルバイトすることにした。

短期間だったけどバリバリにバイトしたな。中3なのに高1って偽っての初めてのバイト。
20歳ぐらいまではいつも実年齢より上に見られてたから全然バレなかったよ(笑)
親も別に反対しなかったな。むしろ遊んでるよりイイだろうぐらいの感覚だったのかね。
地元の少年マンガ雑誌の製本工場。少年マガジンとジャンプを10~15冊ぐらいずつに
機械で縛ってまとめて、それをパレットに積み上げていくの。
単純作業だけどなかなか大変だったなぁ。お金の有り難みを知った気分だった。
すべては初めて手にするエレクトリックベースのため。

今でも覚えてるわー、リッケンバッカーモデルRB700は、当時定価70,000円。
値引きしてくれて店頭価格52,500円だった。
結局はバイト代が全額に及ばす、ありがたいことに親にちょっとカンパしてもらったっけな。
だって最初時給が450円だったもんね。そりゃあ大して貯まらないわな。


コチラは2016年。TOUR『SUBJECTIVE LATE SHOW』の時のリハーサルの画像。
’90年代後期にはホンモノのリッケンバッカーも何本か手に入れ使用してたけど、
再終結後もこうして使ってるよん。右の黒は’75年製、左の白は’78年製(運命感じるね…)。

そう、40年前のまさにちょうど今頃、貯めたバイト代と親のカンパ分を持って、
当時学校の帰りに通い慣れた池袋のイケベ楽器で黒いリッケンバッカーモデルを遂に手に入れたのだ。
リーズナブルなソフトケースにしときゃいいのに、ハードケースを買っちゃって。
運ぶの大変だったけど、なんか「バンドやってます!ベースやってます!」的な
自己主張に酔っちゃったりして。まだ全然弾けないのにね。
一貫して自意識過剰なヤツだったな。
そんな1978年の9月。人生初のベースを手にした中学3年生・廣瀬洋一の2学期が始まった…

今回はココまで。また次回、お楽しみに!!

2018.09.03 (Mon) 15:10:15

15 thoughts on “『HEE-STORY 1978』 #2〜初期衝動を咲かそう Let’s Play Loud

  1. あたしも初めてのバイトは中3なのに高1って偽って小僧寿し(ローカルw)のシャリ炊きでしたー。当時好きだったバンドの解散ライブに行きたくて、それは東京ドーム!青春18切符で福山から往復鈍行…どのバンドかは言わないよー、歳がバレちゃうから( ̄ー ̄)…って時給480円でした!って言ったら歳がバレちゃうやないかーい。おやびんの前ではピチピチのお姉ちゃんで居たい乙女心よん💘🔫ヒーストーリーと共に私も自分の歴史?!を辿ってます。

  2. このソロ活動ではベース&ボーカルでコンポーザーでフロントマンなおやびんのルーツはここにあったのですね。歌いながらあれだけ弾けるベーシストは日本には早々いないと思います!

  3. その感動、すっごく伝わってきました😊

    私の場合、ベースみたいに高価なものじゃなかったけど、初バイト、初お給料で帰りに44MAGNUMのアルバム買って大喜びでチャリ走らせて帰りました💦

    このHEE-STORYは、HEESEYがこうしてた頃、私はこんな事してたなぁ~って風に読めるから、すっごく楽しいです❗️

  4. HEE-STORYすごく面白くて興奮気味で読みました✨私は中3の時にヒーセさんに惚れてギターからベースに変わり、高1の夏休みにバイトしてオービルbyGibsonのサンバーストのサンダーバード買いました💓ヒーセさんがベースを極めて、今やプロの中でも影響力のあるベーシストになるまでの過程のお話、興味津々です☺️続編楽しみ〜♪

  5. 私が高校生の時にかじる程度のバンドやってた時、当時ファンだったバンドと同じベースのワンランク下のベース…定価55000円くらい?値引きも何もなく定価で買ったけど、親におこづかいも誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもお年玉も要らないから~って、泣きついて買ってもらいました(^^;
    学校は基本バイト禁止で、親は禁止されてる事はするなって感じだったし(*´ω`)
    年末年始の郵便局のバイトだけは学校も条件付きOKだったので、進学も決まった高3の冬休みにやりました(*^^*)
    時給は覚えてないけど、休憩時間にミカン食べ放題だったの覚えてます(笑)
    さすが愛媛県(笑)
    当時のベース…弦錆びて引きちぎれてて…
    近い将来息子が使うかもなので、近いうちにリペアショップに持っていこうと思ってます(^^;

  6. 今回もとーても楽しく読みました(*^▽^*)ヒーセありがとう💖若い時、年上に見られる人って後々若く見られますね(^-^)まぁ〜♬年齢なんてただの数字じゃん‼️♬ってね(๑˃̵ᴗ˂̵)私は当時ギター買ったのに🎸結局弾けるようになれなかった・・・高校受験と重なるとね〜(^-^;中高一貫校に入れてくれたご両親にも感謝ですね❣️今のヒーセに繋がってるもんね(*^▽^*)

  7. KISSとの運命の出会いから憧れのベースを手にするまで、それはなんて青春😆✨読んでてキュンとします😳✨長いホウキでエレキの弾きマネするヒーセが可愛い💞 友達と学校の帰り道のスーパーのレジのバイトの面接に行った高校生の頃を思い出しました😊 続き、楽しみにしてます🎶🌟

  8. 私も20代前半まで老けて見られてました(笑)
    でも
    やっぱり都会だわー(笑)
    私なんかバイトしたくても新聞配達しかなかったのよねー(泣)
    初めてバイトしたのだって19歳で少し都会に出てきたからよねー(笑)
    デパートのお中元の伝票整理でした!
    なんかお中元というと吉井ちゃんとヒーセがバイトした話ありましたよね?(笑)
    だけど好きなことをずっと好きでいるのはヒーセの文章読むと本当に大事だなあと思うなあ!
    だからジーンシモンズ師匠に名前を覚えて頂くまでになれたんだよね!(泣)
    やっぱり同じ年齢の人がそういう人生を歩んでいるというのは励みになりますね!(泣)
    次回も期待しています!(“⌒∇⌒”)

  9. 私、再集結前のTYMを生で一度も観た事が無くて…。観ようとすれば観れたかもしれない思いが、おやびんのKISSに対する思いと重なっているように感じました。
    今、こうやってファンクラブに入っているなんて、あの頃の私は想像もしなかったでしょう…。
    おやびんがベースという楽器を選んで、自分のベースを手に入れるまでのお話も興味深かったです。
    次回も楽しみで~す。

    あ、今年は武道館行けるかなぁ…。
    当たりますように。また、おやびんと一緒に日の丸を見上げたい~‼

  10. ずーっと前に、長いホウキをベース代りに持った写真をアップしてくれた事がありましたよね、あれはジョークだけじゃなくて、中学生の頃を思い出してもいたのかな(*^_^*)🌷
    HEESEYさんが初めて自分のベースを手にしたところとかを教えてもらえて、嬉しいです🎸
    でもってHEESEYさん、ホントにベースが似合いますよね。カッコ良すぎです💗
    次回もメチャ楽しみにしてます🎵

  11. 「思い出せることに限界があるだろうけど…」とか「記憶が前後しちゃうな」とか言いつつ、
    何の、十分な記憶力だと思います!(笑)
    当たり前の話ながらヒーセさんにもこんなド素人の頃があったんだなぁと親しみを感じますね^^
    洋一少年も2学期に突入、実際の季節とリンクしてきました!わくわく。

  12. こんにちは。40年前のことをこんなに覚えてるなんて、それだけ夢中で必死で一生懸命だったんですね。初めて打ち込んだことは、忘れたようでも記憶に刻み込まれてて、ちょっとつつくと甦りますね。

    私はとにかくマンガに夢中でした。音楽はロックや洋楽とは無縁で、両親は演歌、私は歌謡曲でしたね。それが今やTHE YELLOW MONKEY のお陰でロックを聴くようになってるんですからね。若いときよりもガンガンコンサートにも行くんだから、しかも一人で!だから人生は面白い。

    THE YELLOW MONKEY が、HEESEYが、私の人生をいっぱいいっぱい楽しくさせてくれてます。ありがとう~❤️

  13. 今回も読みごたえがあって、堪能しました。
    中学生の50,000円は大金!
    (大人でも大金だけど)
    ヒーセ頑張ったね。

    自分が中学生だった頃をそんなに昔には感じてないけど(実際はすっごく昔)、思い出そうとしても結構思い出せない。
    ヒーセ凄い。
    記憶力もあるのでしょうけど、思いの強さで覚えているということもあるのかもしれませんね。

    次回も楽しみにしてます!

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