『HEE-STORY 1978』#4〜エピローグ

ちょっと遡るけど、思い出したことがある。
’78年の文化祭でクラスメイトがやってたバンドが体育館で演奏し、
小さなセンセーションを巻き起こした。
普段不良扱いされてた悪友達がステージに上がって熱演したことで
一躍文化祭のヒーローになったのだ。
ベースを手に入れたばかりでまだまだ何も弾けなかったオレは、
そりゃもう羨ましかったしものすごく刺激になったわ。

冬休みに再びバイトして、オレの部屋に遂にベースとアンプが揃った。
そしてやってきた1979年。
前述の通り中高一貫だったおかげで受験がなく、年が明けても自由な時間があったので、
毎日のようにベースの練習を繰り広げてた。
そうこうしてるうちに文化祭でヒーローになった悪友達とセッションすることになった。
これは当時の“バンドあるある”だが、ドラマーのやつの家がかなりのお金持ちだった。
防音的なことはしてないしスタジオにはなってなかったけど、
ドラムセットやそいつの兄貴のアンプとかのちょっとした機材類が置いてある部屋があった。
そこでみんな集まって演奏しちゃおうっていう、今思うととても迷惑なセッション。

そうそう、ココでも書いたように先日ニューヨークに一人旅したっしょ?
その時毎日のように向こうで遊び相手になってくれてた長年NY在住の
旧友のクレバヤシ氏こそが、このクラスメイトのギタリストの一人なのだ。
ちなみにその時のもう一人のギタリストは、後に在籍したヘヴィメタルバンド・MURBASでも
一緒だった島崎“GOE”剛一氏。“ロックンロール幼馴染”だね。
オレは彼らより遅れて楽器を手にしたので、最初の頃は何かと初歩的なノウハウを
色々と教えてもらったな。今でも時々会うとその頃の思い出話に花が咲くよ。

<ギタリスト至上主義>がゆえに、ギタリストが決めた課題曲数曲を必死でコピーしてた。
要するにギタリスト目線でバッキングやソロを弾くと楽しいとか、そういう基準(笑)
ビートルズの『WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS』とか、
チャック・ベリーの『JOHNNY B.GOODE』とか、ジミ・ヘンドリックスの
『PURPLE HAZE』とか。知ってる曲だったし譜面はあったけど、
まだベースの音そのものをハッキリと聴き取れてなかった。
クラスメイトとはいえ人前でちゃんと演奏するなんて初めてだったので、
メッチャ緊張したっけな。「弾けない曲は、休んでていいよ」とか言われると、
自意識過剰なオレ的にはちょっと屈辱的でもあった(笑)「ちきしょー!」って。

そんなドラマーの家でのセッションを何度か繰り返してるうちに、
そこに集まっていたメンバーで「高校に上がったら一緒にバンドやろうぜ!」
ってことになった。中学にはなかった音楽部もあったし、俄然やる気が出てきた。


前回からの「リッケンバッカー繋がり」で。
20年前。『パンチドランカーツアー』のライヴショットね。
’73年製のファイアーグロウのリッケンを使ってた。今はもう手放しちゃったけど、
このリッケンはアルバム『パンチドランカー』でも数曲でプレイしたんだよね。
イギリスに持って行って、『見して見して』とか『セックスレスデス』とか
『LOVE LOVE SHOW』(アルバムバージョン)とかのレコーディングで弾いたよ。

あ、んで、初めて観た外タレはチープ・トリックだった。’79年3月。
アルバム『DREAM POLICE』のツアーだったな。
忘れもしない日本武道館だった。初外タレ&初武道館。
そりゃもう悶絶しちゃうほど興奮しちゃったよ。

周りのクラスメイトの中ではオレ以外にあまりベーシストがいなかったので、
高校に上がったらいきなり掛け持ちでビミョーに音楽性の違う2バンドに在籍することになった。
クレちゃんと一緒に組んだハードロック主体の4人編成のバンド・PINK 69と、
ゴーちゃんと一緒にブルースロック系のトリオバンド・JAIL。どっちも強烈なバンド名(笑)
どっちのバンドも練習しまくったし、いつもつるんで遊んでたっけな。


ネットから借りてきた画像。これは高校1年の時に買って
しばらくずっと使っていた、当時新発売だったARIA-PROⅡのSB-1000。
自分の有り金にプラスして、有難いことにかわいがってもらっていた親戚の
叔父さんに半分以上カンパしてもらって買ったんだったな。

’79年の文化祭がオレの人生初ステージとなった。それほど広くない音楽室での熱演(笑)
男子校だけど文化祭は一般の人達も入校出来たので、ちょっとは華やかな場になってたな。
PINK 69は、VAN HALENのカバーをプレイ。文化祭のたった数日前に、
武道館でホンモノのヴァン・ヘイレンの来日公演を観ちゃったもんだから、
超絶盛り上がって初ステージとはいえ、メッチャ楽しく演奏できたっけ。
JAILは、CREAMやジミヘンのカバーをプレイ。高1だってのに一丁前に
3コードで12小節をループするブルースセッションとかもやっちゃったりして。
「3人編成だし、クリームではジャック・ブルース(B.)も歌ってるから廣瀬も歌ってよ!」
とリクエストされ、人生初のベース&ヴォーカルもこの文化祭のステージだったな。
クリームの『WHITE ROOM』を熱唱したっけ。

当時のライヴハウスはプロやセミプロの人達がメインで出演してたこともあり、
店自体もまだまだ少なかったし、オレ達レベルのバンドは出れる状況じゃなかったので、
他のバンドに声をかけて複数のバンドで楽器屋さんの小さなホールをレンタルして、
自主的にコンサートしたりもしてた。
この後ますますバンド活動にのめり込み、外タレの日本公演や
都内のライヴハウスにライヴ観に行ったりと、オレはロック道を邁進していった。

1979年は、初セッション、初外タレ鑑賞、初ステージ、初ベース&ヴォーカルと、
「初めて尽くし」な年になった。それもこれも1978年に「ロック道を行く」と
決心してベースやアンプを手に入れたからの経験。
どんな人にとっても多感な思春期は大切な時期だろう。
オレにとっても1976〜1981年の5年ぐらいの時期は、そんな時期だった。
こうして振り返ってきても、やっぱり1978年は自分史に輝く革命的な年だったな。
#0〜プロローグから5回に渡って書き綴ってきた『HEE-STORY 1978』は、
これにて終了。楽しんでくれたミナサマ、どうもありがとう!

P.S.
「8」繋がりで1978年から…

10年後=1988年。
2年間在籍してた16LEGSが年末のライヴを最後に解散。
MURBAS時代からのバンド仲間だった吉井ロビンがベーシストからギタリストに転向し、
THE YELLOW MONKEYにベーシストとして加入。

20年後=1998年。
THE YELLOW MONKEY、7枚目のアルバム『パンチドランカー』をリリース。
’99年にかけて113本の『パンチドランカーツアー』に明け暮れた年。

30年後=2008年。
前年からやってたキッスとチープ・トリックだけをカバーするバンド『Cheass』でライヴしてた。
この年からバースデーイベント『HEEFEST』を開催。第1回はエマちゃんがゲスト出演してくれたな。
森重樹一氏(ZIGGY)のソロのサポートベーシストとして、ツアーにも参加したっけ。
20代にやってたヘヴィメタルバンド・MURBASの再結成ライヴやツアーも数本やったなー。

そしてそして今から10年後=2028年。ベース弾き始めて50年(笑)
さてどうなってるかね?65歳かー、まだまだ老いてますます盛んに活動出来てるといいなー。

2018.09.17 (Mon) 20:20:53

13 thoughts on “『HEE-STORY 1978』#4〜エピローグ

  1. 今回の廣瀬少年史も楽しく読ませて頂きました~(*^^*)
    今回で最後なんですねぇ(*´ω`)
    クレバヤシ氏と一緒にバンド演ってたんですね(*^^*)
    当時の廣瀬少年のお話もっと聞きたいなぁ(*ノω・*)
    ヴァン・ヘイレン…洋楽疎くて知らなかったんですが、つい最近、ヴァン・ヘイレンのトリビュートバンドのライブを観る機会があって(’-’*)♪
    廣瀬少年はこういう音楽演ってたのかぁ(*´-`)

  2. 毎回楽しく読ませて頂きました(≧∀≦)
    おやびんの少年時代、多分今とあまり変わりないんだろうな〜(^-^)
    今から10年後の65歳のおやびん、きっと今とあまり変わりないんだろうな〜!
    老いてますます盛んに活動されてることを祈ってます(*´∀`)♪

  3. 中学生の時に確固たるものをと模索していたのも すごいなと思うし、それに出会って見つけられたっていうのもすごいなぁと思うよ✨その出会いから10年足らずでソウルメイトの方々に出会えたっていうのも本当、運命ってあるんだなーと。そして、ヒーセの旅の途中にヒーセに出会えた私達はLuckyだなー😆✨この写真💕LIVE中に、フッと微笑むHEESEY当時も今も大好物です😍これからも、10年後もヒーセの出す音に触れていられたら嬉しいなー😆🎶話もっと聞きたい!名残惜しいけど、Music Soup前にディープな話、教えてもらえてよかったです。ありがとう♡

  4. HEESEYさんの初ステージが文化祭の音楽室だったって、なんだか身近に感じてしまいます(*^▽^*)
    2つのバンドを掛け持ちでやってたんですね。人気者だったんだろうナ~🌟
    制服でベースを弾き、歌ってもいた少年のHEESEYさんを想像してると、自然に笑顔になっちゃいマス🍀
    HEE-STORY 1978 、すごく楽しく読ませてもらいました✨✨ また他のHEE-STORYも、よかったら教えてください。楽しみにしてます🎵

  5. クレバヤシ氏はギタリストだったのですね。
    廣瀬少年が、ベースと出会って
    その道を突き進み、
    今に至るまでの過程を思うと
    とても感慨深いです。
    これからもずっ〜と
    痺れる獣低音を聴かせて下さい🤘
    VIVA 老いてますます盛ん☆

  6. 40年かぁ…その頃には私ももう少しおもしろカッコいいおばあちゃんになれてるかな(笑)
    1978年は濃かったんですね。皆そんな時期を通ってきてるんですね。
    チープ・トリックは2018年の今年来日しますよね!👍✨
    私はこれからジョーペリー観に行ってきます💕

  7. こんばんは。大丈夫、HEESEYは誕生日が来るたび若返るから。100歳になっても演奏してそう✨

    文化祭、バンドはいつの時代も花形ですよね。スキーと同じで、2割増のかっこ良さ。HEESEY少年のデビューを生で見たかったなぁ。

  8. 体育祭や文化祭があの頃はステージだったしクラスメイトが変身する場所でしたよね!
    まさにスターの産まれる時!(笑)
    そこはヒーセと一緒だったなあ(笑)
    都会に住む同級生の話(笑)みたいで楽しかったしやはりヒーセはぶれない男だったんですね(笑)
    カッコいいなあ
    またこういう特集聞かせて下さいね!

    昨日私もメタルマクベスdisk2観てきましたよ!
    ヒーセたまらなかったよねー!
    あのステージもよかったけどメタルネタや音楽ネタが最高でした!
    ヒーセと同じのdisk1も観たかったなあ!
    きっとヒーセは幾つになっても活躍してると思うよ!
    励みにしてますわね
    長生きしてねー!(“⌒∇⌒”)

  9. 15才で「ロック道を行く」って決めて、その通りにできてるのってホントに凄いし、素敵なことだと思う。
    10年後も20年後もヒーセは絶対ロック道をすっごい勢いで走ってるはず。
    そんなヒーセでいて欲しい。

  10. 5回に渡る『HEE-STORY1978』ありがとうございました。こんなふうに自己棚卸しできるってすごいです… 廣瀬少年を想像しながら楽しく読めました⭐
    これからもますます熟れていくHEESEYさんを魅せてくださいね💓

    P.S.秋です!栗と梨とサンマを召し上がってくださいませ(笑) また美味しいものお写真アップ楽しみにしてます❗

  11. 余韻に浸ってコメントしそびれてました💦 外科医に初めての執刀があり、パイロットに初めてのフライトがあるように、どんな辣腕ミュージシャンにも初めてのステージが必ずあったんですよねぇ当たり前ですけども。文章が上手だから尚更読んでてワクワクし通しでした。あと、これはYELLOW MONKEYの他メンもそうなんですがライヴのことを「コンサート」って呼ぶところ何気に好きです。ちゃんと”衣装に着替えて上がる場所”と認識されてる気がして。

    『Horizon』のMVでチラッとだけ出てくる、おもちゃのベース(?)持ってポーズ決めてる男の子はヒーセがモデルだと個人的に思ってます。
    貴重な時間旅行記、どうも有難うございました!また折に触れて読み返すと思います。

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