
激動&怒涛の予感
ちょいとご無沙汰ね。
勿論オレは超元気で漲ってるよ。
毎日充実しちゃってますぜ。
10月になってから何かと周りが賑やかでしょ?
THE YELLOW MONKEYとしては、Atlantic/Warner Music Japanとタッグを組み、
さらに11月からは過去楽曲の全世界配信も決定したことが発表されて、
久々の新曲『天道虫』が解禁になったもんね。
しかも『天道虫』はTVドラマ『天 天和通りの快男児』の主題歌だったりして、
番組も10/3にスタートしちゃってます。
楽曲も最新のメンバーショットもリアクションが絶好調で物凄く嬉しいよ。

ATLANTICのロゴが入った『天道虫』のサンプル盤。コレって業界用か?
このロゴ! このカラーリング! メッチャメチャ感慨深いぜ!
影響受けた沢山のアーティストが所属したレーベルだもんな。
「メンバーにも!」といただいたので、早速自分で名前書いたった(笑)
オレ的にも10/1に『MUSIC SOUP-45r.p.m.-』がオンエアされたもんね。
そして我がFCの『HEE-STATION』の今月のゲストは、本日10/8に誕生日を迎えた吉井和哉氏。
1ヶ月間マルっと4週分フル回転でキレッキレにしゃべくりまくってまっせ。
ハッピーバースデー、ロビン!! サイコーな52歳の日々をおすごしくだされ!!
『MUSIC SOUP-45r.p.m.-』も『HEE-STATION』も、これまた超絶好リアクション。
ありがたいことでございます。感激しておりますぜ。
どちらもリピートしてお楽しみいただけますので、ヘヴィロテしちゃってくださいまし。


最近あんまり写真撮ってないんだよなー。
なのでブログ用に最近入手した洋服を撮ってみたぞ。
以前お気に入りのブランドの受注会があって、
その時にオーダーしたジャケットが完成して手元に届いたのだ。
どっちもメッチャイイカンジっしょ?
機会がなくって、まだ1回も着てないんだよな…
早くもっと涼しくなって羽織りたいぜよ。秋のオシャレも楽しみたいもんだ。
さてさて、10月も2週目。2018年のラスト3ヶ月弱。
ココからもっともっと更に濃密な日々になっていく予感。
貪欲なオレは、瞬間瞬間を全部楽しく味わいたいのだ。
そう、自分達が思いっきり楽しみつつ、
大勢の人達が心底楽しめるように日々進んでいきたいのよ。
今はありきたりな言葉しか伝えられないけど、
ミナサマ、とにかく諸々お楽しみに!!
2018.10.08 (Mon) 12:10:57
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食欲の秋に極上の“SOUP”を召し上がれ
うぃす!
ご無沙汰っすよね。元気っすか?オレはやたら元気っすよ。
ずっと『HEE-STORY 1978』を書き連ねてきたから、
久々の“レギュラー的内容”のブログですぜ。
ココ最近は…
THE YELLOW MONKEYとしては“水面下での(笑)”活動があったり
(まだ言えないことばっかりで歯がゆい…)
HEESEYソロ的には、10/1にオンエアのフジテレビNEXTの『MUSIC SOUP』の収録や編集があったり、
10/14オンエアのライヴのチェックや編集があったり。
それ以外は相変わらずの日々ですわー。
ジムに通い、楽器屋さんに通い、洋服屋さんに通い、
自宅でアンプから音を出しまくってベースをジャンジャン弾きまくり、
お彼岸より一足お先に先週のアタマにお墓参り。
レギュラー的内容だから相変わらずの近況報告になっちゃったな。


食欲の秋!…ってかオレの場合はオールシーズン食欲旺盛だから「食欲の四季」だな(笑)
『FOUR SEASONS』だね。 🎶まず僕は喰らう🎶 なんちて…
ココ最近の「うまいもん」です。マジで美味かったです。ごちそうさまでした。
あ、そうそう、フジテレビNEXTの『MUSIC SOUP-45r.p.m.(revolution per man)-』。
おかげ様で物凄く濃密な番組になりましたぜ。スタッフのみなさん、お疲れ様でした。
「ベースを弾き始めて今年でちょうど40年だし、1978年を振り返ってみよう。
当時をできる限り思い出してみようかな….」
と、『HEE-STORY 1978』というアイデアをふくらませようとしてた頃、
フジテレビNEXTの番組『MUSIC SOUP-45r.p.m.-』のゲストのお話がきた。
「自分だけの音楽体験をとっておきの45曲に託して語る栄養満点の音楽番組」
というフレーズが示す通り、自ら45曲をセレクトして熱く語るプログラム。
以前、EMMAちゃんが出演したこともあり、オレも出演を快諾させていただいた。
数日間悩み迷いながら45曲をセレクトし、更にその中からメインで語る10曲を厳選。
先日そりゃもうとても楽しく収録した。
タイトル通り「廣瀬洋一の45曲」は揃いも揃って“オレ丸出し”。
「20分の間にテンコ盛りに詰め込んでいただきました!」ってぐらいの(笑)
フタを開けてみると前回までココに綴ってきた『HEE-STORY 1978』と
『MUSIC SOUP-45r.p.m.-』は面白いぐらい見事にリンクしちゃった。
なので、このHEE-SAYSを御覧のミナサマは番組を御覧になる前に
もう一度『HEE-STORY 1978』を読み返してみてくださいまし。

本番収録中にうちのスタッフが撮ったショット。
ちなみに収録スタジオは、オレのリクエストに応えていただき、
『ODYSSEY』のジャケット周りのフォトセッションと同一スタジオ。
やっぱココの雰囲気、メッチャ好きだわー。
ジャケ写と同じくアンティークだけど、似てるけど違うソファに座っての収録でした。
初回放映は10月1日(月)23:40~24:00。番組はリピートされるみたいなのでチェキ!
ミナサマ、くれぐれもお楽しみに!!
P.S.
番組内では45曲のすべてにはコメントできなかったので、機会があったら
ココでまたTVでコメントできなかった曲を熱く語り綴ろうかな…
2018.09.27 (Thu) 0:34:42
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『HEE-STORY 1978』#4〜エピローグ
ちょっと遡るけど、思い出したことがある。
’78年の文化祭でクラスメイトがやってたバンドが体育館で演奏し、
小さなセンセーションを巻き起こした。
普段不良扱いされてた悪友達がステージに上がって熱演したことで
一躍文化祭のヒーローになったのだ。
ベースを手に入れたばかりでまだまだ何も弾けなかったオレは、
そりゃもう羨ましかったしものすごく刺激になったわ。
冬休みに再びバイトして、オレの部屋に遂にベースとアンプが揃った。
そしてやってきた1979年。
前述の通り中高一貫だったおかげで受験がなく、年が明けても自由な時間があったので、
毎日のようにベースの練習を繰り広げてた。
そうこうしてるうちに文化祭でヒーローになった悪友達とセッションすることになった。
これは当時の“バンドあるある”だが、ドラマーのやつの家がかなりのお金持ちだった。
防音的なことはしてないしスタジオにはなってなかったけど、
ドラムセットやそいつの兄貴のアンプとかのちょっとした機材類が置いてある部屋があった。
そこでみんな集まって演奏しちゃおうっていう、今思うととても迷惑なセッション。
そうそう、ココでも書いたように先日ニューヨークに一人旅したっしょ?
その時毎日のように向こうで遊び相手になってくれてた長年NY在住の
旧友のクレバヤシ氏こそが、このクラスメイトのギタリストの一人なのだ。
ちなみにその時のもう一人のギタリストは、後に在籍したヘヴィメタルバンド・MURBASでも
一緒だった島崎“GOE”剛一氏。“ロックンロール幼馴染”だね。
オレは彼らより遅れて楽器を手にしたので、最初の頃は何かと初歩的なノウハウを
色々と教えてもらったな。今でも時々会うとその頃の思い出話に花が咲くよ。
<ギタリスト至上主義>がゆえに、ギタリストが決めた課題曲数曲を必死でコピーしてた。
要するにギタリスト目線でバッキングやソロを弾くと楽しいとか、そういう基準(笑)
ビートルズの『WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS』とか、
チャック・ベリーの『JOHNNY B.GOODE』とか、ジミ・ヘンドリックスの
『PURPLE HAZE』とか。知ってる曲だったし譜面はあったけど、
まだベースの音そのものをハッキリと聴き取れてなかった。
クラスメイトとはいえ人前でちゃんと演奏するなんて初めてだったので、
メッチャ緊張したっけな。「弾けない曲は、休んでていいよ」とか言われると、
自意識過剰なオレ的にはちょっと屈辱的でもあった(笑)「ちきしょー!」って。
そんなドラマーの家でのセッションを何度か繰り返してるうちに、
そこに集まっていたメンバーで「高校に上がったら一緒にバンドやろうぜ!」
ってことになった。中学にはなかった音楽部もあったし、俄然やる気が出てきた。

前回からの「リッケンバッカー繋がり」で。
20年前。『パンチドランカーツアー』のライヴショットね。
’73年製のファイアーグロウのリッケンを使ってた。今はもう手放しちゃったけど、
このリッケンはアルバム『パンチドランカー』でも数曲でプレイしたんだよね。
イギリスに持って行って、『見して見して』とか『セックスレスデス』とか
『LOVE LOVE SHOW』(アルバムバージョン)とかのレコーディングで弾いたよ。
あ、んで、初めて観た外タレはチープ・トリックだった。’79年3月。
アルバム『DREAM POLICE』のツアーだったな。
忘れもしない日本武道館だった。初外タレ&初武道館。
そりゃもう悶絶しちゃうほど興奮しちゃったよ。
周りのクラスメイトの中ではオレ以外にあまりベーシストがいなかったので、
高校に上がったらいきなり掛け持ちでビミョーに音楽性の違う2バンドに在籍することになった。
クレちゃんと一緒に組んだハードロック主体の4人編成のバンド・PINK 69と、
ゴーちゃんと一緒にブルースロック系のトリオバンド・JAIL。どっちも強烈なバンド名(笑)
どっちのバンドも練習しまくったし、いつもつるんで遊んでたっけな。

ネットから借りてきた画像。これは高校1年の時に買って
しばらくずっと使っていた、当時新発売だったARIA-PROⅡのSB-1000。
自分の有り金にプラスして、有難いことにかわいがってもらっていた親戚の
叔父さんに半分以上カンパしてもらって買ったんだったな。
’79年の文化祭がオレの人生初ステージとなった。それほど広くない音楽室での熱演(笑)
男子校だけど文化祭は一般の人達も入校出来たので、ちょっとは華やかな場になってたな。
PINK 69は、VAN HALENのカバーをプレイ。文化祭のたった数日前に、
武道館でホンモノのヴァン・ヘイレンの来日公演を観ちゃったもんだから、
超絶盛り上がって初ステージとはいえ、メッチャ楽しく演奏できたっけ。
JAILは、CREAMやジミヘンのカバーをプレイ。高1だってのに一丁前に
3コードで12小節をループするブルースセッションとかもやっちゃったりして。
「3人編成だし、クリームではジャック・ブルース(B.)も歌ってるから廣瀬も歌ってよ!」
とリクエストされ、人生初のベース&ヴォーカルもこの文化祭のステージだったな。
クリームの『WHITE ROOM』を熱唱したっけ。
当時のライヴハウスはプロやセミプロの人達がメインで出演してたこともあり、
店自体もまだまだ少なかったし、オレ達レベルのバンドは出れる状況じゃなかったので、
他のバンドに声をかけて複数のバンドで楽器屋さんの小さなホールをレンタルして、
自主的にコンサートしたりもしてた。
この後ますますバンド活動にのめり込み、外タレの日本公演や
都内のライヴハウスにライヴ観に行ったりと、オレはロック道を邁進していった。
1979年は、初セッション、初外タレ鑑賞、初ステージ、初ベース&ヴォーカルと、
「初めて尽くし」な年になった。それもこれも1978年に「ロック道を行く」と
決心してベースやアンプを手に入れたからの経験。
どんな人にとっても多感な思春期は大切な時期だろう。
オレにとっても1976〜1981年の5年ぐらいの時期は、そんな時期だった。
こうして振り返ってきても、やっぱり1978年は自分史に輝く革命的な年だったな。
#0〜プロローグから5回に渡って書き綴ってきた『HEE-STORY 1978』は、
これにて終了。楽しんでくれたミナサマ、どうもありがとう!
P.S.
「8」繋がりで1978年から…
10年後=1988年。
2年間在籍してた16LEGSが年末のライヴを最後に解散。
MURBAS時代からのバンド仲間だった吉井ロビンがベーシストからギタリストに転向し、
THE YELLOW MONKEYにベーシストとして加入。
20年後=1998年。
THE YELLOW MONKEY、7枚目のアルバム『パンチドランカー』をリリース。
’99年にかけて113本の『パンチドランカーツアー』に明け暮れた年。
30年後=2008年。
前年からやってたキッスとチープ・トリックだけをカバーするバンド『Cheass』でライヴしてた。
この年からバースデーイベント『HEEFEST』を開催。第1回はエマちゃんがゲスト出演してくれたな。
森重樹一氏(ZIGGY)のソロのサポートベーシストとして、ツアーにも参加したっけ。
20代にやってたヘヴィメタルバンド・MURBASの再結成ライヴやツアーも数本やったなー。
そしてそして今から10年後=2028年。ベース弾き始めて50年(笑)
さてどうなってるかね?65歳かー、まだまだ老いてますます盛んに活動出来てるといいなー。
2018.09.17 (Mon) 20:20:53
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